「ビキニ事件」を埋もれさせてはならない

1954年の「ビキニ事件」で、オーストラリアとハワイの中間のマーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカが水爆実験をおこない、マグロ漁船第五福竜丸の乗組員が被ばくしたことは知られていますが、第五福竜丸だけでなく推計1400隻もの漁船が被ばくしていました。
1985年、当時高校教諭と高知の高校生らが、400人に上る元船員や遺族などから聞き取りを続け、被災船の多くの乗組員が脳腫瘍や白血病、がん等で亡くなっている事実を明らかにしました。
1986年、日本共産党の山原健二郎衆議院議員は、被ばく者の人数など被爆の実態を質問しましたが、その時、政府は「資料は既に残されていない」と答えました。
その後、アメリカ国務省からの情報公開資料で、2014年に、第五福竜丸以外の漁船員の被爆が確認できたのです。
そして、厚生労働省は、存在を否定してきた広範な乗組員への被ばく調査結果を認め、公表したのです。
その中には延べ556隻分の放射能検査や船員の血液や尿検査の記録がありました。
国は、一九五四年に調査を行い、その記録は公文書として政府に保管されていたにもかかわらず、長年にわたり「ない」とされてきたのです。
日本政府がアメリカの核戦略に追随し、公文書を隠ぺいしてきた罪は極めて重いと言わざるを得ません。
昨年、関東大震災から百年で、福田村事件など外国人の虐殺など新たな実態が明らかになりました。「ビキニ事件」から七十年、歴史に埋もれさせてはならない重大な事実があるのです。

(東区民報 2024年03月24日付)