この夏、父が入っている墓に兄の遺骨を納めました。
三歳年上だった兄は、四十歳の時、暮らしていた北九州市でくも膜下出血のため倒れ、数日間、意識なく生死の間をさまよいました。一命はとりとめましたが、重い障がいが残ったため、施設に入所していました。今年、体調が悪化し他界。別の施設にいる母にどう言えばいいか悩みましたが、「兄ちゃんが」と言うと、「亡くなったか」と言いました。私が兄のことを言う時は死んだ時だろうと覚悟を持っていたのでしょう。母も参列し、身内だけの葬儀を済ませました。施設、病院、葬儀関係者のみなさんに大変お世話になりました。
治療の説明を受けたのも、病院・施設を決めたのも私でした。兄の後半の人生に深くかかわっただけに、私の判断が間違っていたのではないか、短かった人生に十分な思いやりを届けられなかったのではないかと、後悔と悲しみが一緒になった感情がいつまでもおさまりません。しかし、私よりもずっとつらかったのは、息子を自分よりも先に亡くした母です。
兄を見送り、お別れの仕方も考えさせられました。
多くの人が集まる葬儀では、学生時代からの友人や職場の同僚、社会活動での知人など、それぞれの立場の人が別れの気持ちを共有できます。
コロナ禍以来、身近な人だけで行われる葬儀も増えてきました。静かに、落ち着いてお別れができます。
葬儀は短い時間でたくさんのことを決めなくてはなりません。故人の人柄と人生を感じ、負担の少ないお別れの仕方を、あらかじめイメージして家族で共有しておくことがいいと思います。