どこまでが日本の領土? – ロシアとの領土問題

「北方領土」とか「北方四島」ということばをよく聞きます。では、どこまでが日本の領土なのでしょうか。

千島列島は、カムチャツカ半島から南に向かって国後島まで続いています。歯舞諸島、色丹島の場所は、千島列島の続きではなく、根室半島の先にあります。
江戸時代、まだロシアとの国境が決まっていませんでした。

そこで、

  1. 1855年に「日魯通好条約」で、国後島と択捉島は日本、得撫島から北はロシアと決めました。樺太は、どちらとも決めず、日本人・ロシア人が入り混じって暮らすところとしました。歯舞・色丹は日本領土が当然という扱いでした。
  2. 1875年千島樺太交換条約で、樺太はロシア領に、千島列島はすべて日本領土にすると、話し合いの結果として正当に決められました。
  3. 第二次世界大戦中の1941年大西洋憲章、1943年カイロ宣言で、連合国側は「領土不拡大」を確認しました。
  4. ところが、1945年2月、米英ソ三国のヤルタ協定で、ソ連参戦の条件として千島のソ連への「引き渡し」を米英が認めました。
  5. ソ連が、千島と歯舞色丹を軍事占領。
  6. 1951年サンフランシスコ平和条約で、日本は、千島列島の放棄を強要されました。

「領土不拡大」がないがしろにされ、サンフランシスコ条約で千島放棄を求められたことが許されません。それ以前の千島樺太交換条約こそ有効です。全千島を日本領土とすることが正当ではないでしょうか。