「炭鉄港」 日本遺産登録を目指す 私も応援していきます。宮川 潤

北海道の最初の鉄道は、手宮(小樽)から幌内(三笠)をつなぐものでした。幌内炭鉱から産出された石炭を運ぶためです。
しかし、道内の炭鉱は次々閉山し、坑道は埋められ、残っているのは地上の施設だけです。このような北海道を支えた主要産業の歴史を保存しようという運動が起きています。炭鉱と鉄道と港から、「炭鉄港(たんてつこう)」と呼んでいます。
私は、代表質問で「炭鉄港」を取り上げるために、岩見沢市にある「そらち炭鉱(ヤマ)の記憶マネジメントセンター」、三笠市の「旧住友奔別(ぽんべつ)炭鉱」、赤平市の「旧住友赤平炭鉱」を調査に訪れました。

三笠の旧住友奔別炭鉱では、掘り出した石炭をベルトコンベヤで、隣の建物に運び、そこで石炭を選別します。コンクリート造りの堅牢な建物の中に線路を引き込み、貨物列車に乗せて運んでいたのです。私は、その建物に入らせていただきましたが、長年放置されてきたため朽ち果てる寸前の状態で、保存には課題が残されていることが実感できました。
赤平の旧住友赤平炭鉱の外見は、相当の老朽化を感じましたが、すでに見学者の受け入れを行っているため、トロッコや掘り出すための大きな機械が整然と並べられていました。案内をしてくれたのは、かつて炭鉱で働いていた労働者です。「昔は石炭を掘るだけだから、黙って働いていたけれど、今はガイドをするから、こんなにしゃべれるようになった」と、実直そうな方でした。

北海道の歴史を伝えるために、日本遺産登録を目指しています。私も応援していきます。(「東区民報」から)

旧手宮線(小樽市)